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(2000/16mm/13min)
レンズの絞りの緩やかな変化に伴い、白い部屋が暗闇から眩しい光に満ちる。光の操作によって部屋の中、ライト、鏡の中、窓の外の光が隠されていた光景を浮かび上がらせては消えてゆく刹那によって構成されている。カメラ自体は一切動かないが、絞りを操ることで作者自身の身体と意志が介入する。又、写真のように一つ一つのカットが独立するよう配慮し、モンタージュ(編集)によって生じる運動を抑え、光の変化する様をより純粋に表現したかった。銀塩写真の作業で唯一目で見ることのできる化学反応は、暗室の中、露光された印画紙に像が浮かぶ様子であるが、その留まらない時間とイメージの不確かさは、私達が見ている写真や映像が無限のイメージの中から選択された一つの可能性でしかないことを教えてくれるのである。
(2000/video/7.5min)
余韻と余白の映画。
テーブルクロスに染み出す水の跡が完全に蒸発して消えてしまうまでの7分30秒。その間、染みは波打ち際のように収縮を繰り返す。編集作業で時間の配置を組み換え、幾重にも重ね合わせ、蒸発するという物理的な現実時間と時間操作による映画内の時間を共存させた。
(1999/S-8/15min)
人物の所作は全てモノクロの分割写真になっており、風景のショットはカラーの実写で撮影されている。中盤のモノクロ写真は独立した写真作品であり、いわば映画内にスライドショーが挿入されている形となっている。ラストのリンゴのショットは実写であるが、対象は終始静止しており、光と影だけが運動している。
(1998/S-8/13min)
この作品において、イメージは複雑に交錯する。カメラで多重露光された像は、重ねられる毎に光が集積し、限り無く光の白へと向かう。自家現像処理によってフィルムの表層に刻印された傷や色ムラは、支持体としてのフィルムそのものの存在(=像)を否応なく認識させられる。女性は風景の如く静止し、最後はまさに静止画として現れる。スライドフィルムを揺れるカーテンに投影することで、静止画像を〈動く像〉へと変換した。この幾重にも仕掛けられたイメージのからくりの中で、私達が自明のものとして見つめているイメージが如何に不確かで繊細なものであるかを明らかにした。